大正 4年12月 8日 | 長崎県福江市に出生 |
昭和 4年 4月 1日 | 大阪府立天王寺中学校入学 |
同 8年 3月31日 | 同校終了 |
同 8年 4月 1日 | 大阪高等学校入学 |
同11年 3月31日 | 同校卒業 |
同11年 4月 1日 | 京都帝国大学医学部医学科入学 |
同15年 3月30日 | 同校卒業 |
同15年 3月31日 | 京都帝国大学助手 |
同15年 4月30日 | 医師免許証下附(医籍登録第94308 号) |
同15年 5月14日 | 海軍軍医中尉(2年現役) |
同15年 5月14日 | 横須賀鎮守府附被仰付 |
同17年 4月 1日 | 野比海軍病院部員 |
同17年11月 1日 | 海軍軍医大尉 |
同18年 6月29日 | 第6駆逐隊軍医長 |
同19年 6月10日 | 横須賀鎮守府附被仰付 |
同19年 7月25日 | 賀茂海軍病院部員 |
同20年 9月 5日 | 海軍軍医少佐 |
同20年12月31日 | 京都帝国大学医学部副手 |
同21年 2月28日 | 京都帝国大学助手(医学部) |
同24年11月14日 | 京都大学助教授(医学部) |
同24年12月27日 | 医学博士(京都大学) |
同28年 4月 1日 | 大阪医科大学 講師(~32年3月31日) |
同28年 5月 3日 | 日本ビタミン学会武田賞受賞 |
同33年 2月15日 | 京都新聞文化賞受賞 |
同34年 5月 1日 | 日本学士院賞受賞 |
同34年 7月16日 | 京都大学教授(医学部) |
同35年 4月 1日 | 京都市建設委員会委員 |
同38年 4月 1日 | 京都大学大学院医学研究科担当 |
同39年 7月 4日 | アメリカ合衆国、カナダ国、ドイツ連邦共和国および 連合王国へ出張(~9月7日) |
同42年11月 8日 | 中華民国へ出張(~11月19日) |
同44年 8月24日 | チェコスロバキア国およびイタリア国へ出張(~9月17日) |
同45年10月 8日 | アメリカ合衆国へ出張(~10月17日) |
同46年 4月 1日 | 新潟大学医学部講師 |
同47年 5月 1日 | 京都大学医学部付属動物実験施設長に併任(~54年4月1日) |
同47年 9月 1日 | メキシコ国およびアメリカ合衆国へ出張(~9月17日) |
同48年 4月 1日 | 日本衛生学会幹事長(~54年3月31日) |
同48年 4月 1日 | 京都大学評議員(~52年3月31日) |
同49年10月 2日 | アメリカ合衆国、スペイン、チェコスロバキア、スイス、オースト ラリア、オランダ、フランス、ソビエト連邦へ出張(~10月28日) |
同50年 4月 1日 | 北海道大学医学部講師(~54年3月31日) |
同50年 4月 1日 | 京都府公害審査会委員(~54年4月16日) |
同50年 4月 1日 | 文部省科学専門委員(~53年3月31日) |
同50年 9月13日 | 英国、オランダ、ドイツ、デンマークへ出張(~10月4日) |
同51年 9月 6日 | スイス、フランスへ出張(~9月17日) |
同52年 4月 1日 | 関西医科大学講師(~53年3月31日) |
同52年 4月 1日 | 長崎大学医学部講師 |
同52年 4月 1日 | 岡山大学医学部講師(~54年3月31日) |
同53年 8月25日 | ブラジル、アメリカ、ポルトガル、フランス、ギリシャ、ユーゴ スラビア、ドイツ、スエーデンへ出張(~10月8日) |
同53年11月 6日 | ハンガリー、スイスへ出張(~11月15日) |
同54年 4月 1日 | 定年退官 |
同54年 4月 1日 | 京都大学名誉教授 |
同54年 4月17日 | 京都府衛生公害研究所長 |
同54年10月 3日 | スペインへ出張(~10月12日) |
同55年 4月 1日 | 京都府立医科大学講師 |
同55年 4月 1日 | 京都府公害対策技術者会議議員 |
平成 6年 3月 3日 | 御逝去 |